2026/6/11
金剛山転法輪寺で育つということ|FOYMAの原点
建築デザイン事務所FOYMA(フォイマ)を主宰する葛城侑馬は、金剛山の山頂に建つ転法輪寺で育ちました。設計者であると同時に、この寺の住職を継ぐべく日々の務めに携わる僧侶でもあります。なぜ寺院建築と現代和風という、いっぷう変わった組み合わせに向き合うのか。その答えは、立派な経歴よりも前に、祈りの場で過ごした日々そのものの中にあります。
祈りの場で育つとは、どういうことか
転法輪寺は、大阪と奈良の境にそびえる金剛山の山頂、標高1,125メートルに鎮座する真言宗の寺院です。修験道の道場として知られ、葛城修験の霊場のひとつに数えられてきました。年間およそ100万人が訪れる、近畿でも屈指の山岳信仰の地です。
ここで育つということは、特別な行事の日だけ手を合わせる暮らしとは違います。朝の山の冷たい空気、お堂に満ちる線香の匂い、護摩の炎が立ちのぼるときの熱と音。そうした感覚が、生活の地続きにありました。建物は鑑賞の対象ではなく、人が祈り、心を預けるための「器」として、いつもそこにあったのです。
幼い頃から肌で覚えていったのは、建物の意匠そのものよりも、その場が人の心に及ぼす作用でした。手を合わせると、ざわついていた気持ちがふっと静まる。その「静まり」がどこから生まれるのかを、知らず知らずのうちに考える環境だったといえます。
そこで体に入った、空間の感覚
祈りの場には、不思議な間(ま)があります。お堂に一歩入ると、外の喧騒が遠のき、空気の密度が変わったように感じられる瞬間。光が格子や障子を通してやわらかく落ち、陰影が時間とともに移ろっていく様子。何も足されていないのに、いや、むしろ何も足されていないからこそ、心が整っていく——。
転法輪寺で育つなかで体に入ったのは、こうした「余白がはたらく感覚」でした。装飾の豪華さで圧倒するのではなく、静けさや陰影、ものとものの間(あいだ)の取り方によって、人の心の状態が変わる。これは長い時間をかけて受け継がれてきた、伝統建築や日本の暮らしの知恵そのものです。
言葉で教わったというより、繰り返し身を置くなかで自然と染み込んでいった感覚。この原体験が、後に設計と向き合うときの揺るがない基準になりました。
それが、建築・設計の姿勢へつながる
設計を学び、住宅や店舗、クリニックといった現代の空間を手がけるようになっても、葛城侑馬が立ち返る問いは変わりませんでした。「この空間で時間を過ごす人の心は、どう動くだろうか」。それは、祈りの場で繰り返し感じてきたことと地続きです。
寸法や素材、光の入れ方を考えるとき、目指すのは見栄えの華やかさではありません。訪れた人がふっと肩の力を抜けること。空間が静かに心を整えてくれること。用途が住まいであれ店舗であれ、向き合い方の根っこは、祈りの場で育んだ感覚に支えられています。
設計者でありながら、祈りの場を内側から知っている。この立ち位置が、FOYMAの設計を一本の軸で貫いています。
だからFOYMAは、寺院建築 × 現代和風なのか
FOYMAが寺院建築と現代和風の両方を手がけるのは、奇をてらってのことではありません。どちらも、根は同じところにあるからです。
寺院建築が長く磨いてきた「余白を整える」知恵は、現代の住空間や店舗にもそのまま生かせます。光と陰、音と静けさ、ものとものの間。そこに表情を与える発想を、伝統の現場感覚と現代建築の実務、その両方を知る立場から橋渡しする。「空間を整え、心を整える」——これがFOYMAと転法輪寺に共通する、変わらない思想です。
金剛山の祈りの場で過ごした日々が、FOYMAという名に込められた願いの源にあります。その原点を、設計のひとつひとつに静かに通わせていきたいと考えています。
FOYMAの歩みや設計思想について、より詳しくは下記をご覧ください。寺院建築の設計・改修から現代和風の住空間まで、関西を拠点にご相談を承っています。
